2004年9月4日土曜日  午後2時0分
「記憶」というものには実体が無い。そしてもしかすると、それには「責任」もないかもしれない・・・。

・・・人々が駆け抜けてゆくその時に「美しい記憶とする為に〜」と、駈け行く者はおらず、
僕等はただ、その場その時を「楽しさと苦悩」の中で転がるように駈けているだけなのではないだろうか?
と・・・そう想う時がある。
・・・それが例えどんな時代であったとしても、俯瞰で物事を捉えれば、何事としても、
なんとも馬鹿馬鹿しく感じるのが常だろうし、こればかりはどうする事も出来ない人間の一側面なのは事実だろう。

ただし、私達はあらゆる「心理学、」「占星術、」「予言書」が予定出来なかった、「特殊な時代」を生きたのかも
しれません。(それは終わる事は無いのかもしれないけれど。)
『戦争はイクナイ。』んですけどね?だけど、戦争は終わったあとで語り草に出来ますね?だけど、私達は語り草に
さえ出来ない。闘いなんだかそうでないんだか、よく解らない苦悩のようなそうでないような、本当にはっきりしない時を続け、また、その繰り返しに慣れ過ぎている。そういう危惧もあります・・・。

「1999年を境にして自殺者の数がいきなり3倍に膨れ上がる。」それは間違いなく、何かが起こっている事を
物語っていたのに、、、(とはいえ、私達に出来うる事も無く、結局。)世の中は平然と動いていた。
・・・恐らくは政界では百戦錬磨な田中のおばちゃまも『政治ってなんでしょう・・・。』と、TVの中で
頭を抱えてしまっていた。
「戦争」は・・・起こっていない。だから徴兵されるわけも無く、相変わらず、私達は自由だった。
だから、人々は笑顔で、不満も無く、生き生きと、羽を伸ばし、天高く、逝きました。(・・・・・)


『・・・何かがおかしい。』そう、誰もが思いながらも、誰一人それを口にすることなく生きてゆく。
いや、本当に不満が無くて何も言う事が無いほどに満たされているのであれば、それで良い。
だけど、そうでなかったならば、恐れなくてはならない事がある。それは、
「自己の想いと裏腹な表現を無理を強いてまでして続けてしまう事。」と
「自己の想いという表現を無理を強いてまでして止めてしまう事。」である。
(これは『嫁を裏切る事はあっても、自分は裏切らない。』と、言う事である。(ぉ
とある本の一説にはこうある。。。
「自殺とは、本来は他に向けられたであろう憎悪が内側(自分)に向かってしまった行為である。」と。
私なりの解釈では、「あまりにも無理をして他に合わせたせいで、本来の敵どころか、仮想の敵さえ無くなった
かのような錯覚にやられてしまって、結果。膨らみ続けた(誰もが持っている)負の力は唯一自分の自由に
出来る自分自身を殺す道を選んでしまった。」と。。。。

――――――――――「長げぇ〜」と、苦情が相次いだ溜め→PK糸強制終了〜。――――――――――――――
            
        ・・・結局、なにが言いたかったんだろう?
        「これ、オフレコ?」
        そうだよ。(つっても、読んでる人は読んでるけど・・・。)
        「始めは記憶について、だったんだけど、なんだか脱線していくうちに、すんげぇ所まで
         下がっちゃって、んで、まとめようなくなっちゃって、んで、んで、、、、、、」
        そうでしたか・・・さ、そろそろ時間も残り少なくなってまいりました。最後に一言どうぞ。
        「ちんこ」
            それでは皆さん、ば〜かば〜か、ぺっ。ごきげんよう〜〜〜。 
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